来月のコンサートに向けて今練習している『さくら横ちょう』
加藤周一の詩に二人の日本人作曲家が曲をつけているのですが、今回二曲とも演奏します。
どちらも失恋のことを歌った同じ歌詞ですが、その曲の中にいる女性の気持ちはまるで違うように、音で表現されているのです。
言葉の後ろに込められる気持ちを、間合いや、声の質を使い分けて表現するソプラノの大先輩の表現力と比べて、めっちゃお子ちゃま感が出てしまう私の伴奏…😩ただ桜が綺麗ってことしか表現できてないかんじ。。これは、今まで弾いてきた西洋音楽とは全然違う…。
シンプルな音と言葉で表現される、その後ろに秘められた思いの深さ。これが侘び寂びっていうものなのかな??
あと1カ月、もう少し大人な恋の歌に近付けるよう精進したいと思います。